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急逝した渡哲也 石原プロの存続反対だった理由は?肺炎ってコロナなの?

 

渡哲也さんが2020年8月10日に逝去されました。肺炎とはコロナなのでしょうか?

78歳だとちょうど男性の寿命と同じくらいではありますが、もうちょっといてほしかったというのが皆さんの本音ですよね。

ご冥福をお祈りいたします。

石原プロをたたむことを発表した矢先のことでしたが、渡哲也さんは実は存続に反対していたようなのです。

その理由を調べてみました。



石原裕次郎さんの遺書とは その内容

昭和62年に石原裕次郎さんが亡くなる時に、妻まき子さんに遺言を託していたようで、それが実は石原プロをたたむことだったというんですね。

1987年に他界した裕次郎だが、その遺言として石原プロは映画製作を託された。公にはこれが遺言とされているが、まき子さんだけが知る裕次郎最期の言葉は「俺が死んだらすぐ石原プロをたためよ」だったという。

引用:エンタメウィーク

 

本当は

俺が死んだらすぐ石原プロをたためよ

公表されたのは

石原プロは映画製作を託された」

 

まったく違いますね~。

これに裕次郎さんが亡くなって33年たった今、奥さんのまき子さんがとうとう石原プロの幕を下ろそうと、本当の遺言を公表されています。

まき子さんの言い分としては所属する俳優やスタッフのことを思ってのことだったそうですね。

石原プロに勢いがあって、あの方たち(渡哲也ら)のお姿を見ていると、言えなかったんです。

引用:エンタメウィーク

 

俳優さんスタッフの皆さんがいつも生き生きとされていて 会社に対する愛情の強さがひしひしと感じられ この人達ならば会社をお任せするべきと思い 遺言を言い出すことが出来なくなっておりました

引用:ヤフーニュース

 

 

渡哲也さんの想い

妻まき子さんが石原裕次郎さんのほんとうの意味での遺書を世間に公表したのは、2018年7月19日『直撃!シンソウ坂上』でのことだったようです。

 

つい最近、石原プロを2020年1月まででたたむことが報じられることで知った方も多かったとは思います。

さらに実は渡哲也さんとしては、事務所存続に反対だったようなんです。

ですがそれと裏腹にこのような思いがあったようですね。

石原プロを続けていれば、裕ママ、つまりまき子夫人を食わせることができる。石原プロの面々は、裕次郎さんを中心に集まり、裕次郎さんに仕えてきたという思いが強い。そのため、裕次郎さん亡き後は、石原プロのメンバーで未亡人となったまき子夫人を支えるべし、との考えが強かったのです。それを受けて彼女も会社を閉じたくないと考えるようになった

引用:ヤフーニュース

当時は、裕次郎さんの出演した映画などの版権収入などもあったかとは思うのですが、それだけでは足りなかったんでしょうか。

 

亡くなった高倉健さんは渡哲也さんのことをこのように表現されていました。

家族や石原プロなどを全部背負い、様々なシガラミに縛られながら、辛いこと、やりたくないこと少なくないにちがいないと推察しますが、嫌な顔ひとつ見せず、おくびにも出さず平然とやってらっしゃる。どこかで自分を捨てていらっしゃる…

引用:ヤフーニュース

侠気(おとこぎ)溢れ過ぎです(*´Д`)脱帽ですよ。

 

また、渡哲也さんはこんなことも考えていたようです。

渡さんは石原プロ解散に向けた準備を早く進めるべきだという考えをこの十数年ずっと持ってきました。さらに、最近は渡さん自身が体調を崩し、会社の手仕舞支度を一層強く意識するようになった

引用:ヤフーニュース

渡哲也さんは、かなり病に侵された経歴も持っており、仕事と病気の治療はとても大変だったと思われます。

  • 1974年 NHK大河ドラマ「勝海舟」を肋膜炎のため途中降板
  • 1975年 映画「大脱獄」は高倉健さん、菅原文太さんとの共演が決まっていたが、渡さんの体調不良で出演せず
  • 1991年 直腸がんを患う、オストメイト(人工肛門使用者)であることを明らかにしている
  • 1997年 大腸がんを患う
  • 2015年 急性心筋梗塞で緊急入院

 

病気とは切っても切れない俳優生活だったことがしのばれます。

 

渡哲也さん 最後のCM 松竹梅

渡哲也さんは宝酒造の日本酒「松竹梅」のCMなんと32年も続けられていたそうです。

石原裕次郎さんの昔の映像と最近の渡哲也さんとを組み合わせて、発表されたCMは時を越えて師弟が酒を飲み交わすシーンは非常に印象的でしたよね。

最後の仕事は2020年6月に行われた宝酒造の日本酒「松竹梅」の50周年を記念した新CM「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」編にナレーションで出演。2021年1月16日の石原プロ解散を踏まえ、32年間続けたCMを勇退。石原裕次郎さんとテレビCM“初共演”で有終の美を飾っていた。  最後の師弟タッグが実現したCMでは、京都・東福寺の光明院で和服の裕次郎さんと渡さんが酒を酌み交わす。渡さんがおちょこを手に「よろこびとは?」としみじみと問うと、裕次郎さんが酒をおいしそうに喉を鳴らして飲み干し、「飲むことよ!」と渋い声で答えていた。

引用:エキサイト

 

渡哲也さんはこのしごとを最後に松竹梅のCMを降板されます。

天国で裕次郎さんに会って、お酒を酌み交わしているかもしれませんね。

 

渡哲也さんの肺炎はコロナなの?

 

 

 

 

渡哲也さんは「肺炎」でなくなったけれど、「コロナ」には言及されていません。

 

おそらく前々からの持病が悪化したのではないでしょうか?

15年には急性心筋梗塞に。そうして2度の大手術を受けました。肺気腫や喘息といった持病もあり、現在は酸素吸入器が手放せない生活を送っています。

引用:女性自身

渡哲也さんは酸素吸入器が外せなくてもまだ俳優として働く意思があり、リハビリに努められていたそうです。

残念でなりません。

 

渡哲也さんの葬儀は密葬で行われ、お別れの会もなさらず、弔電やお香典も辞退されるとのこと。

それよりも、わたしたちの心の中にいてほしいと願っているようですね。

 

急逝した渡哲也 石原プロの存続反対しなかった理由は?肺炎はコロナなの?まとめ

俳優の渡哲也さんが78歳で亡くなられました。死因は肺炎でコロナではないそうです。

渡哲也さんは本当はもっと早く石原プロを手仕舞いたかったのですが、裕次郎さんの妻まき子さんに収入が行き渡るように存続させていたようです。

2020年1月16日に石原プロが幕を閉じますが、先立ってしまわれました。

今はもう、天国でゆっくりとされていることを願います。